中野アナ1年目時代(2002年4月〜2003年3月)

中野さんは学生時代から「報道記者になりたい」という夢こそ敵わなかったものアナウンサーとして「ゴールの無いマラソン」がはじまり、それに向かって羽ばたく事になった。

フジテレビの新人アナウンサー研修のサイトをを見たら分かるとおもうけど、うどんの話から香川の丸亀で育った事が誇りで故郷をおもう気持ちが強いのが凄く感じられる。

と同時に、中村アナと不仲説が多数出ているが実際の所は仲がよく、他局の研修を受けに来た同期からは「波長が合うのでうらやましい」
といわれていたぐらいだ。
2001年のフジテレビアナウンサー試験の採用率は5000分の3で、ライバルが沢山いた本当に狭き門だ。

それを潜り抜けてきた中野アナだが、入社試験では中村アナは常に隣ににいたらしくその頃から中村アナは本当に心強い存在だったらしい。
中野アナは同期の事を”人生の節目で付き合ってくれる存在”と認めているし、これから中野アナは中村アナと渡辺アナと支えあっていくことになるのだろう。

新人研修が終わってから7月の中野アナはまず、新人アナが必ず一人向かう登竜門の「七夕中継」を無事にこなした後、新人アナ歓迎会と「中野アナ特有?」の大忙しなスケジュールは既にこのころからはじまっていたかもしれない。
中野アナのみにならず、当然新人アナは気を使うし覚えないといけない事
だらけ。

今年の7月6日〜7日の27時間テレビの提供読みの大役が新人恒例でやってきた。普段は”それだけ”だが、「27時間密着」という、テレビの裏側をリポートする仕事もきた為日付が変わって、35時間寝ていない状態の中、中野アナをはじめ初泣きの提供読みが中野アナ→渡辺アナ→中村アナの順番で行われた。

当然、提供読みだけにその大トリを務めるわけだから本当に中野アナ達は大変だったとおもうが無事に提供を読み終わると、中村アナの涙につられて、人前で涙を見せない中野アナも泣いてしまった。私自身中村アナの涙の方は確認できたが、中野アナの「努力の後」の涙が見れなかったのが本当に残念で成らない。きっと中野アナは”目に見えないプレッシャー”と戦っていたのだなという事がフジテレビアナマガの研修日記を見ると伝わってきた。今後もこの経験が間違えなく活きてくるだろうし、同期の絆も一掃深まった事は言うまでもない。

そんな不規則な日程の仲の頑張りがはじまった中野アナも学生時代は、授業に遅刻しそうな事も時にはあったらしいが、会社にいるのは朝の3時30分。中野アナは大きな大役を新人アナにも関わらず、任される事になる。いうまでもなくめざましの情報キャスター(サブメイン)だ。
それが決定してからの中野アナは出来る限り、前任の吉田恵さんの動きや流れを見たりの「見学→下準備→取材→打ち合わせ→リハーサル」本番のデビューへ向けて研修を受けてきた。

中野アナの新人アナ大抜擢については色々な意見があったとおもうが、中野アナがパイオニアとして今後活躍する事により今後もこの様な事があり、未来のアナウンサー志願者にとってもいい刺激や夢を与える事になるとおもう。そのためにも中野アナに頑張って欲しい。

中野アナのプロのアナウンサーとしての戦いは9月30日にはじまったのだ。
当然、この日のめざましの中野アナは凄く緊張していた事を私は今でもしっかり覚えている。トーンのテンションも凄く高かったし、当然それは新人で初のレギュラーがしかもサブメインの大役だけにその気持ちは十分に分かるし、皆様にもわかって欲しい。それだけ彼女は一生懸命になっていた故の出来事だから。

そのデビューの翌日ごろは、中野アナの人望なのか、”かっての仲間”から「おめでとう」の祝辞が中野アナの実家に沢山かかってきた事を中野アナがDS通信で述べていたがそれだけ彼女は地元香川からも母校の慶応からも期待は凄く大きい。それが彼女の支えの一つなのは私でも分かる位だから説明はあえて省いておく。そんな中野アナはめざましMCの大塚さん、小島奈津子さん、軽部さん、奥寺さん、森さん、伊藤さん、千野さんにアドバイスを受けながら一歩ずつ階段を上り詰めていく。伊藤アナが中野アナに「この日(9月30日)が中野アナにとって恥ずかしいと思えるぐらい頑張って欲しい」に近い言葉を述べていたが、まさしくそれぐらい5年後10年後はそうあるべき中野アナであって欲しい。

めざましでの中野アナの担当するコーナーは情報キャスターだけに、MCよりは若干出番が少ないがどのコーナーも紳士的におごらず謙虚にこなしていく。その中でも、中野アナは広人苑というコーナーでは、「いま旬の人、絶対ブレイクする人を中野アナが直接会ってその人を取材していく」
中野アナは輝いている人を見てパワーを貰っているだけに、その肌で感じるその人の凄さや魅力を伝えられるように頑張っていく姿が印象的だ。
第1回のベッキーさんのときはは凄く突っ込まれっぱなしだったので凄く心配だったが少しずつこのコーナーも自分のものにしていきその頑張りが認められてか、BS,CS限定では在るが「中野美奈子の広人苑」というコーナーが放送されている。それだけ局の中野アナに対する期待が大きいのが分かる。

きっと中野アナが取材をしてパワーを貰ったと本人は言っているけど、中野アナに取材されてパワーを貰ったという人が出てくる日もそう遠くは無いだけに、今以上の頑張りに期待したい。中野アナの小さな体からみなぎる力には、それだけの秘めた力と高島アナに無い「聞き上手」さを持っているのだからその能力が今以上開花する事を願ってやまない。
12月からの晴れたら良いねでは、「みなこのeふぉま」というコーナーも担当する事になり、短い時間でセリフを覚えないといけないという大変さながら、どんなときも笑顔を絶やさずこのコーナーを物にしていく。中野アナはいずれは晴れたらに登場するし、本人もしたいらしいが、シフトの関係上今は出来ないため、涙をのんでいるらしいがいつかその夢がかなう事を願ってやまない。コスプレに関しては色々な意見が出ているが、中野アナが前向きに取り組んでいる限りは、彼女の意志を最大限に尊重したいとおもうどんなときも前を向いているの中野アナの魅力のひとつだから。

その翌年アナウンサーとして初の正月には、中野アナは高島アナ、中村アナとともに着物姿で局の代表として登場するが、
その中でもやはり光り輝いていたのは中野アナだったし、新年の女子アナSPのドッキリでは誕生日ネタで心を傷つけられ涙を流したもの、それに負けることなく頑張る姿が印象的だった。

その3月、大げさかもしれないが、中野アナにとって大きな転機を迎える。
今までめざましで中野アナに色々アドバイスをおくってきた小島奈津子さんがめざましを勇退する事が決まったのである。
その公認は中野アナとその当時から仲がよかった高島アナでめざましを「一緒に盛り上げよう」と話し合ったりしていたという。
元気のミナもとも当然紹介する相手が小島さんから高島アナに代わる事になり、若手コンビになるわけだが長年めざましをささえた小島さんがいなくなるのは私自身寂しいきもぢたった。小島奈津子さん最後の日には中野アナをはじめほとんどの出演者が「no more natsuko」のTシャツを着て小島アナとの別れを惜しみ、番組では涙を流す中野アナが印象的だったが中野アナにとって「出会いも別れであり、別れも出会い」だったに違いない。
今度小島奈津子さんと何らかの番組で共演するとき、中野アナの変わった姿を見せる事が出来れば“毎日成長すればいいのよ”とのアドバイスをはじめ、いろいろと助けてくれた小島さんへの恩返しとなる。それだけに、高島アナとの未年コンビで日本の朝に花を添えて欲しい!!
2年目も頑張れ中野アナ!!