今日3月16日はは長野翼(内川翼)さんの誕生日です。

約4年前、長野翼アナがフジテレビを退社を決意し、旦那のソフトバンクホークスの内川聖一選手を支えるために福岡へやってきたのは九州新幹線のつばめ号が博多駅から開通したのとほぼ同時期であれからこんなに時が立ったんだなと思うと時の流れを感じます。

長野翼アナといえば、入社した2003年のめざましテレビの代行でデビューした時も地震がおき、退社間近の2011年3月11日に東日本大震災が発生・・・。長野アナも報道特別番組に出演し、翌日12日に出演予定だったフジテレビONE「フジアナスタジオ まる生2011」(おそらく長野アナ卒業スペシャルになる予定でした)は放送中止に・・・。

そして、3月25日の「スーパーニュース」最後の出演でも大震災、さらには緊迫した状態が続く福島第一原子力発電所の状況を放送時間の影響で、新人時代からフィールドキャスターとしてデビューし、2007年からは安藤優子アナを支えるサブキャスターに抜擢された2011年現在までにわたって活躍してきたスーパーニュースの視聴者への「お別れの挨拶」ができないままで本当に気の毒でならなかった。

長野翼さんにとっては報道での生放送キャスター人生は「地震にはじまり、地震に終わる」という結果をどう思っているかはわからないけど、いい意味で考えればニュースで「報道アナとして、視聴者の翼として伝えるための”宿命”を背負って生まれてきた」のかな?と思ってならない。

今、安藤優子さんがスキルを「認めた」フジテレビのスーパーニュースやニュースJAPANでの共演女性アナはいるのかもしれないが、当時認められていたのは「長野翼」アナウンサーだけだった。長野アナのあの若さでの冷静な喋りや判断力・対応力は本当に立派としか言いようがない。

それだけの事があってか、某先輩アナの挙式に長野アナを含む、沢山の先輩アナや後輩アナも呼ばれ、長野アナも当然挙式に向かう予定だったが諸先輩アナを差し置いて「長野アナがいると心強い」とのことで留守番を命じられる程の報道スタッフからの「人望の厚さ」があったのは間違えない。

長野さんは、「内川選手を支える事」と決め彼のサポートと育児に専念するためか、ニュース番組のオファーは今もきているだろうが今現在は全て断っているのが濃厚だ。

2011年3月に退職する時はフジテレビからテレビ西日本へ転籍あるいは受け皿になるとの情報もあったのと同時に「長野」新幹線”つばさ”号のナレーションあるいはイメージキャラクターのオファーが来るのでは?との情報もあったが残念ながら実現していない・・・。

今も最愛の人を支えるのが「第一」なのは言うまでもないが、いつの日か再びアナウンサーとして「翼」を広げて活躍してくれる事や癒しのボイスが聞ける事を願ってならない。

最後になったけど、長野翼さん誕生日おめでとう!
夫の活躍のサポートはもちろん、さらなる活躍の場が見れる事を陰ながら願ってます。